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いつもどこかで朝が…
なぜゆで卵に失敗するのか?
シニャンガに来て、変わったことと言えば、食べ物の好き嫌い。
以前は苦手だったものが、こちらでは食べられるようになった。
牛肉、バナナ、鶏レバー、かぼちゃ、サツマイモ…
香りが強いものと、食べるとオホッとする系がダメだった。
なかでも筆頭はゆで卵。
卵料理全般は、少々苦手だったが、ゆで卵はもっさもさするし、
胃にはりつくような感じでもたれるので、絶対に手出さへんもんやった。
朝、卵料理を食べようものなら、一日中胃がもたれてるので卵料理は昼以降にしか食べへんかった。
が、研修が隔週で続いていた頃、会場で出る朝ごはんのゆで卵をなぜかその時は食べてみよう、と思い、試したら、なんと!ゆで卵ってこんなにおいしいもんやったんか!?と
驚愕の思いで食し、おかわりまでしにいった(一人ひとつずつしかないので結局おかわりもらえへんかった)衝撃の出来事。
なんせこの辺ではニワトリ様が人間とともに普通に歩いていらっしゃる(自転車が目の前を通る時は立ち止まり、交通ルールも守っていたりする)。
きっと卵も新鮮に違いない、と一人、悦に入り、卵を近くで買い求め、気が向いたらゆで卵を作って食べるようにした。

しかし…

長らくゆで卵から離れていたせいなのか、
私は致命的に料理がヘタなのか、
なんとゆで卵に失敗したのである。
しかも、2回も。

どうやってゆで卵なんぞに失敗するのか?
ネットで作り方を確認したら、沸騰しているお湯に卵を入れて、
と書いてあったのでその通りにしたら、
パッカーーーンと威勢のいい音がして、殻が割れた…。
黄身は妙に固いのに、白身はぶよぶよして、少々不気味な物体に。
作り方、2種類、見ました。
どっちも沸騰してるお湯に、と書いてありました。
で、失敗しました。

人に言うと、何アホなことしとうねん、と呆れられ、
ゆで卵は水からゆでるものである、と教えられました。
人生半ば近くになってようやくゆで卵の作り方を学んだ私、
それ以降、嬉々として作っておりました。
そして今日、オフィスの管理人のようなことをしてるおじいちゃんが、平飼いの卵(普通のより小さい)が手に入ったから、と売りに来たので即購入(今まで食べてたのはブロイラーの卵だったことが判明!それでも日本で食べるのより美味しかった)。
喜び勇んでその貴重な卵を茹でてみたら、また失敗。
いつも通りに作ったさ。
ワクワクして殻を割ったら、しゅるしゅるになって全く茹で上がらなかった白身部分が流れ出て、続けて殻を剥いたら、未だかつてない固さ(食べたらコリコリした)に仕上がった白身部分とに分かれるという事態に。

なんで?
どうして?

長らく忌み嫌っていたことを恨みに
ニワトリ様がバチを与えているのでせうか。
そのようなつれないことをおっしゃらず!
ニワトリ様、タマゴ様
次こそはどうぞ美味しく仕上がってくださいまし。
なぜゆで卵に失敗するのか?_c0227132_1962194.jpg

仲良しの2羽。連れ立って歩くのが今風?
# by joi-mako | 2013-09-17 19:07 | Comments(0)
Daily Shinyanga
ちょっと新聞風のタイトルつけてみましたが、
なんのことはない、シニャンガでのワタクシの一日について、
でございます。
シニャンガに戻って2週間ちょっと。同じように朝起きて、仕事して、帰ってきてまた寝て、という生活ではありますが、やっぱりちょっと違う日常。

7:00ごろ 起床
大体目覚まし時計は6:50にかけて、最近は7:10ごろ起きる。
10分ごとのスヌーズで寝たり、起きたり、を繰り返す…
さっさと起きればええのに、朝は弱い。でも昔は目覚まし3つかけて、起きひんかったから、まだマシになった方。
早く寝た次の日はもっと朝早く目覚めるけど、赤道近くで夜明けは遅いため、朝早くに目覚めてもまだ真っ暗で、早起きは三文の徳…という気になれぬため、あえなく退散。二度寝。

顔を洗って、歯磨きして、身支度を整えて、
その後紅茶飲んで、残りの10分くらいは本を読んで迎えの車を待つ。

7:50 出勤
ドライバーさんに迎えにきてもらって車で出勤。
社長待遇!

8:00 勤務開始
まずはスタッフ全員でオフィスのお掃除から。
雑巾がけ、掃き掃除、モップ掛け。
オフィス前の道は舗装されてへんので風がふけば桶屋がもうかる。
…じゃなくて、砂が舞い上がる。
乾季は砂まみれ。雨季でも、なんとなくジャリジャリする。
窓のサッシが日本のようにぴっちり閉まらへんので、窓を閉めてても入ってくる。
夜の間にしんしんと…積もる砂。
毎朝机を拭く雑巾が真っ黒に。分かっていても止められない、指で埃の積もり具合を調べるしぐさ。毎日小姑…
ノートパソコンを開きっぱなしで置いておき、小一時間、外での打ち合わせに出てから帰ってくると、もはや積もってる…。
いつか壊れるんちゃうかと心配の種(今はちゃんと閉じてノートPCケースを上に置いてから出かけてます)。

9:00ごろ 朝ごはん
しばらく前までは、家で朝ごはんを準備して食べてから出勤してた。
けど、だんだん面倒になって結局出勤してから近くで買って食べることに。
私の朝食は、チャパティ一枚、300シリング(18円くらい)也。
小麦粉を水と塩で練って、薄くのばし、た~っぷりの油で焼いたもの。
ふとりそー・・・

そして毎日のように必ず誰かは訪れる、行商の人々の対応。
野菜と果物を売りに来るおじいちゃん、
ピーナッツとゴマのお菓子を売りに来る、スワヒリ語で返さないと怒るちょっと厳しいおばあちゃん、
バナナ(最近商売替えをして今扱うものはトマトらしい)を売りに来るお兄さん、
青菜を売りに来るお姉さん…
ここでは、お客さんは誰でもウェルカムせねばならない。
だから買わずとも、訪いがあれば一度は必ず招き入れる。

午前中 外部との打合せ、村の診療所訪問等
このプロジェクトの関係者はほとんど県行政の人。
行政の業務時間は7:30~15:30のため、彼らと打合せをするなら午前中に済ませねばならない。そして日本のように事前にメールでアポをとって、伺って、という段取りではほとんどうまくいかへん。アポなしで、朝の掃除をすっぽかし、朝ごはん抜きで朝早い時間に突撃するか、事前にいつ頃ならオフィスにいるか確認し、その日の朝電話で確認し、オフィスに向かう直前にも確認し、それでやっと会える、という感じ。一回確認しただけで、電話で言われた日時に言ったら、もう出かけてておらへん、っちゅうのはザラにある。

村にある診療所で会合があったり、届けもの(資材とかね)があったり、データ収集に行ったり、という場合は9時にはオフィスを出発。帰ってくると大体14時かな。

13:00~15:00のうち1時間 昼食
ここは朝ごはんが遅いからなのか、お昼ご飯も日本と比べると遅い時間に設定されとう。
少なくとも13:00になってへんと、レストランで食事が用意できてへん。
ということで大体お昼は13:00すぎになるものの、大抵、ちょうどそのころに仕事が乗ってきてしもうて、手が離せん!みたいな状況のため、最近は13:30とか14:00くらいにようやく席をたつ。
お昼ご飯はこんな感じ

本を読みながら、1時間休憩。
こっちにいると「ザ・日本」に飢えるので、最近は時代小説にはまりかけ。
藤沢周平氏の『蝉しぐれ』良かった~。勢いあまって藤沢作品大量購入。
池波正太郎氏と司馬遼太郎氏の作品にも触手をのばし中。
宮部みゆき氏の時代小説が好きなのだけど、Kindle化されないので日本に帰るまでおあずけ。

15:00~16:30 残りの仕事
ご飯の後は、残ってる仕事をひたすら片付ける。
いつの間にか終業時間の16:30になってるので、
オフィスを片付け、戸締りして、
またドライバーさんに送ってもらい、17:00までには帰宅。
残業するとドライバーさんにも残業してもらうことになるため、定時に帰ることにしている。

17:00~22:00 まだまだ残りの仕事+自由時間
大抵仕事は終わらへんし、家でやった方がええ仕事とかもあるんで、帰ってさらに仕事。
例えば、今日一日のお金の出し入れを、毎日記録。財布に入れてあるメモ用紙に手書きし、さらにエクセルにも記録。そうせんと、いろんな「財布」があるし、手元の現金と口座の残金と、手元にある領収書と総出納帳と近い将来引き落とされるけどまだのものとかいろいろあるので、ややこしくっておいかけられへん。預かった大切な資金である以上、気は抜かれへんのです。
プロジェクト目標の達成度合いをはかる指標も、落ち着いて一人で地道に数字を拾って、考えをめぐらすべきものとか、報告書を書くの、とかも家でやる。
そこまで仕事に追われてへんときは、時間があれば本を読む。

昼食が遅いのと大量なのとで、ほとんど夕食は抜き。

22:00ごろ シャワー
以前は朝シャン派だったものの、現在の日本の自宅、冬は極寒の地と化すため、朝のシャワーは拷問に近い。夜、湯船につかってあったまってから寝る習慣にしてから数年、シニャンガでも夜シャワー。加えて、ここは暑いし、砂まみれになるし、汚れたまま眠るのは少々厳しい。
湯船に浸かれないのは悲しいが、お湯が出るだけでありがたい、ここシニャンガ。

でもたまにシャワー浴びる作業も疲れてしまい、しばらくソファで休んでから、ということも。気づいたら就寝時間が24時を過ぎてたりしてちょっと慌てる日もアリ。

そんな毎日。
シニャンガ・ライフ。
# by joi-mako | 2013-09-12 19:27 | Comments(0)
三枚おろしの~♪
日本では、タンザニアにいるより歩く。
家から駅まで、
駅構内、
デパートの中で目的地(大抵本屋さん)まで、
スーパーの中で…

私は右足を震災直後に捻挫し、
その後無理して歩く、というアホなことをしたために
治るのに1年くらいかかってしまった。
今もたまに踏みどころを間違えたりすると痛い。
その右足、タンザニアから日本に帰ってきて、
歩き歩いて、痛み出した。
古傷が痛む、というやつです。
いつもものすごい人波をかきわけて歩いている
日本のみなさまからは非難ゴウゴウじゃないかと
思われますが、歩き「すぎて」(あくまで比較の問題です、ハイ)
痛むものはしょうがない。

ということでぺったんこ靴しかはかれへん。
しかも、土踏まずをサポートする形のものでないと疲れる。
そういうサンダルは一足しかない。
シニャンガでもはいとった、古めのもの…
なんと7年モノでございます。
ワインや古酒じゃあるまいし、
時が経てば当然のごとく疲弊する。
さすがに7年もはいたサンダル、底がペラペラして
3枚おろし(靴底、中の芯、ソール)の状態に。
日本ではくには少々ありえないコンディションのサンダル、
湿布を貼った足を隠したくて向こうではいてたロングスカート、

これはもはや、
シニャンガスタイル…

踊らないけどね、
江南スタイルじゃないから。
# by joi-mako | 2013-08-13 15:15 | Comments(0)
エンドレスファイト for フローレスレシート
4か月ぶりに日本に戻り、3週間経ちました。
久方ぶりに会う人々にうかれ、東京の生活に慣れなおすのに時間が過ぎていき、あっという間です。そして日本で食べる食事の美味しさに思わず食べ過ぎ。
うーん、運動せんといかん。

国内でのお仕事は、活動費の精算と報告。
ずばり、領収書との闘いでございます。
というほど大げさなもんではないけれど、
現場で領収書を取り付ける時は
闘いさながら。

日本側で必要な領収書とは、
日付、宛名、金額、摘要、単価、署名、連絡先、等々が
全て、
一点の曇りもなく、
整然と、
書かれていなければならない。
間違いなく、flawlessに。
非の打ちどころなく。
まあ、当然です。
日本でレシートをチェックする人は、
1シリング(今月のレートで0.062円)の違いも見落とさぬ意気込みで挑んでおられる。
それも全て血税を正しく使うため。

現場では、間違えたら、
その上から書き直せばいいや~
金額のところにふるカンマもゼロ3つ目じゃなくて2つ目でも別にいいでしょ?最終的にゼロの数あってれば
単価なんかなくったって合計金額わかればええやないの~、
とそんな感じなので、

シニャンガにおける日本的領収書の取り付けは

闘って勝ち取るもの!

というレベルの仕事に格上げされている
(注:ワタシの中だけで勝手に)。

シニャンガの人たちはきっと、
なんだってそんな細かいことに目くじらを…と思ってるやろうし、
私は私で、なぜ必ず間違うのか?と思っとうし、
(恐らくそれはワタクシが、許すまじ!一点の間違いも!という光線が出そうなほどの眼差しでレシート書く人の手元を凝視しているから緊張で間違うのでせう。でも目を離すとね、とんだレシートを渡されて、取付け直しにいかねばならなくなるのでね、やめられないの)
そうやって
永遠に噛み合わぬ闘いを繰り広げることになる。

毎回こっちは、
少なからず必死の形相で闘いに臨むわけでございますが、
レシート書く人は、
なんなんだよ、
レシートぐらいよぅ、
分かれば問題ねーだろうよぅ
というような、べらんめぇ調の対応してたりして
(そのように感じるだけでほんとはスワヒリ語です、ええ)、
その光景を傍から見てる人たちにとっては…

すでに私の仕事スタイルは、
ひっつめ髪にすっぴん、
大小の鞄を3つも4つも持ち、
11個もあるオフィスの鍵をジャラジャラいわせて
ノシノシ歩く、という
日本のみなさまには見せられない勇姿のため、
その格好でお店の人と
レシートのことでガーガーやり合ってるのは、
滑稽、
以外のナニモノでもないだろう…と思う。

しかし、そんなことにはかまってられない。
何より大事なのは、
きちんと活動し、
お金を適正に使うこと、
そしてそれを証明する書類。
命にかえてもまもってみせます、領収書!
とまでは(全く)思いませんが、そのくらいの意気込みなのです。

でもそんなことくらいで毎回闘いと称していたら身がもたぬ。
闘いとは、自分の外にあるものではない。
そう、勝つべき相手は自分の中に。

エンドレスファイト for フローレスレシート_c0227132_1122091.jpg

↑持って帰ってきた過去3か月分の領収書を台紙に貼ったもの。
ぶ、ぶあつい…
これとただいま奮闘中。
否、自分の中にあるめんどくさい病と。
# by joi-mako | 2013-07-25 11:31 | Comments(2)
15歳、妊娠、そして
プロジェクトの一環として、保健施設に来る人たちへの満足度調査を実施。
相対的に若年結婚が多く、女子の就学率が低い地域ではあるものの、
10代ですでに妊娠している女性が多いことに改めて驚く。
その中に、産前健診に来た15歳の少女がいた。
一年前に結婚し、すでに夫を亡くしている。
去年の10月に亡くなった夫の子を妊娠している。
この地域では、夫を亡くした女性は亡夫の兄弟に「相続」されるらしく、
彼女もそのようにして再婚しているらしい。
でも今は両親と暮らしている。聞いたことのない村の名前。
なぜわざわざこの施設に産前健診を受けにきたのか問うたら、
今住んでいるところの近くにある保健センターでは夫と一緒に来なければ診ない、と追い返されたため、かつて夫と住んでいたところにあるこの保健センターに来たという。
一体どんな思いで、
「夫と一緒に来なければ」という言葉を受け止め、
夫との思い出のある場所の医療施設に遠路はるばるやって来たのだろう。

彼女は、朝3時に起き、バス停まで1時間歩き、2時間バスに揺られ、
サービスが開始されるまでさらに3時間待ってやっと検診を受けられた。
あまり悲しそうでもなく淡々と話す、夫を亡くした15歳の妊娠中の少女を
目の前に、どう声をかけて良いか逡巡する。
神は耐えうる試練しか与えない、という。
困難な状況に陥った自分への励ましの言葉としては、有効な言葉かもしれない。
でも、彼女にその言葉をかける勇気はなかった。
何も出来ない自分が悔しかった。
プロジェクトで関わっているこの保健センターで受けた産前健診が、
彼女にとって、少しでも心地よいものであったことを祈らざるをえない。

でも、ここにきて感じるのは、
どんなにモノがなくとも、インフラが整っていなくとも、
このITの時代に果てしなくアナログな生活をしていようとも、
ここにも日本と同じように、人々の営みがあり、
4700万人の人生がある、ということ。
当たり前のことなのだけど、
日本で仕事してると
「リプロダクティブ・ヘルス」の部分だけ
切り取って見てしまってたかもしれない。
でもそうじゃなくて、
毎日、人は朝起きて、家事をして、
ご飯を食べて、
食べるためにお金を稼ぎ、
疲れて眠り、
家族とともにあることに幸せを感じ、
時に悲しみ、怒り、喜び、
夢を持ち、
悩み、
努力をし、
喧嘩して、仲直りし、
泣いて、笑って、恋をする。

圧倒的な貧困の中に生きる、
哀しくて、
可哀そうな人たち、ではない。
私は、
救いの手を差し伸べるもの、ではない。

プロジェクトができることは、
限られたこと。
それでも、
日本からの移動に3日かかるシニャンガにいる人たちの
毎日の
どこか一部を
遠く、海を越えた日本の人たちが
どうにかして良くしたい、と考えて
行動を起こしているということを
私はここの人たちに伝えたいと思う。

そして、
それが彼らの毎日の力となるように。

時々、どうしたらいいのか分からなくなる。
でもまだ私は、何もできていない。
今はまだ、諦められない。
# by joi-mako | 2013-06-29 02:13 | Comments(1)