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いつもどこかで朝が…
シゴトとホコリとオドリと
ここでの仕事は、多岐にわたる。
ボランティアさんを育成し、再研修を通して知識を更新してもらい、
コミュニティの人たちにリプロダクティブ・ヘルスの知識を伝えてもらう。
診療所で働く医療従事者にも、
技能研修を受けてもらい、知識と技術に磨きをかけ、
より良いサービス提供を目指す。
保健施設の改善のために、
施設の改修・建設、
水のアクセスの確保を行う。
それに必要なコミュニティの関係者との調整、
建設技師との調整、
県保健局との調整
等、等、等。
医療資機材も足りていないので必要なものを調べて
見積をとり、予算と相談して購入する。
保健施設とコミュニティの関係を強化するために関係者と会合をして、計画を立ててもらう。
活動に必要なお金を支出して(通帳とキャッシュカードとかないので小切手を切って現金を引き出す)、領収書を取り付けて帳簿に記録をとる。
そして全ての活動の報告書を書く。
そういういわゆる「活動」に加えて、
現地スタッフを雇用しているので、
彼らのお給料の支払い、
社会保険料、所得税の払い込み、
オフィス備品の管理、
警備会社への支払い、契約交渉、
免許も持ってないのに、プロジェクト車輌の管理
というような総務・経理的な仕事もやる。

上から下、右から左、全方向である。
そんだけいろいろ手を出してれば、
どこかで、常に、何かが、起こっている。
毎回、そんな展開アリなんですか!?
と聞き返したくなる、受け取り拒否不可びっくり箱定期便。
大きさも、色も、中身も、受け取る度に違う。
開けないと前に進めないので、
開けてはびっくりし、胸がドキドキして、
頭が真っ白になる。
真っ白になってる間に、スタッフがサクサク動いて
私は、「じゃあそれで行こう」と指示を出すだけで良い時もある。
日本にいる上司に相談して動かせる時もある。
でもその場で、即判断を下さねばならない時もあるのだ。
大げさなものではなかったとしても、
その判断が後々いろんな方面に影響を及ぼす可能性大なので、
いちいち緊張する。
日本で仕事をしていた頃からすると、
想定の範囲外過ぎて、
これまでの経験が活かせない。
従って、結構いつも必死である。
でも新しい展開は、
問答無用に新しい回答を引き出させる。
それが正しい回答かどうか分からない。
だけどその時、あらゆる状況を考慮した、ベストの回答ではある。
だから、次に同じようなことがあった場合、
状況が少し変わっていたとしても
その時に導き出した回答は、次に役立てるはずだと思って汗をかく。

びっくり箱は定期的に届く。
受け取りを拒否するという選択肢も、
開けないという選択肢も、
今のところない。
ならば、一か八か、
箱を開けた後の結果が楽しい方であることに賭けてみるしかあるまい。
人生はバクチだ。
そして、たとえ大負けしても、
どんなに身動きが取り辛くても、
雨の中でも、
踊ってしまえばいい。
踊って、
笑えば良いのだ。

あーでも、雨乞いの踊りをしたいほどもう雨が一滴も降ってくれない。
次は砂埃の中で舞うか。

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# by joi-mako | 2014-05-15 17:27 | Comments(0)
スモール コイン イズ ビューティフル
この国では、なのかシニャンガだけ、なのか分からへんけど、
ここでは細かいお金を入手するのがものすごく困難。
1500~1600シリングが1ドルくらい。
1000シリングや500シリングまでは紙幣もあるにはあるけれど、
銀行にいっても時々ないと言われる。
コインでしか存在せえへん200シリング、100シリング、50シリングにいたっては、
お目見えするのが相当珍しい。
一桁台なんぞ、リアルなお金では見たことがない。
たまに税金とかかかってハンパな一桁台とか出たとしても、銀行口座記録上でしか存在せん。

でもチャパティ一枚300シリング。
焼きメイズ一本300シリング。
サモサひとつ500シリング。
ダラダラ(チャリタク)初乗り300シリング。
一リットル2,278シリングのガソリン、35.842リットル分…
どうやって払えっちゅうねん?
私のもっているのはほとんど1万シリング紙幣か5000シリング紙幣。
たまに2000シリング舞い込んでくるくらい。
可能な限り小さいお金を出したところで、
おつりないねんけど・・・と言われる。

「おつりないねんけど」というセリフ自体、日本人には理解不能。
自分でその値段設定したのに、なんで小銭を用意せえへん(まあ、慢性的に小銭不足)?
そもそも小銭がないのになんでその値段設定(一人だけ高くしたら売れへんから)??

さて、実際どう対処するかというと、
1.おつりない分、さらに物を買う
2.貸しにしといて、いつの日か返してもらう(明日返すわーという言葉は大抵信じてはいけない)
3.たとえ値段に満たなくても、自分が持ってる可能な限り小さい額のお金を渡して、借りにしといてもらう(300シリングのところ、200シリング出して100シリングは後で返す)
4.出すお金を少々上乗せして、大きい額でおつりをもらう(例えば4500シリングのものを買って5000シリング紙幣を出しておつりがないと言われたら、さらに500シリングだして、1000シリングのおつりをもらう)
5.ガソリン代の場合、端数は切り捨てにしてもらって領収書をもらう(どちらにしろ端数分は現金のやり取りもしない。が、この「切り捨て」コンセプト、なかなか分かってもらえない(T T))
6.大きな金額であれば、小切手で支払う(お金が銀行口座間のやり取りになるので小銭そのものは必要なくなる)
7.返してもらうまで追いかける(物理的に追いかけるわけではない)

個人の支出ならばまだ良い。しょうがないか、チップと思えば、くらいで済む。
でも、プロジェクト費用からの支出でそれをされるとほんまに困る。
7.はなるべくしたくないけれど、でもちゃんと返してもらうまで、あと○○シリング貸してるからね、と言い続ける。
この私の行動、タンザニア人にとっては、そんなはした金に目くじらたてて!とかなり滑稽なようである。
でも日本では、一日の収支が一円でも違ったら経理は帰られへん、ということを時々ここの人に言ってみたくなる。
一円を笑うものは一円に泣く、とスワヒリ語に訳してみたくなる。

こんな状態なので、たまーに小銭を手に入れると、使いたくなくてなるべく貯めておきたい。
でも必要な場面はすぐにやってくる。じゃあメイズとか買うなよって言わないでね…。
お昼ご飯を食べてたところでたまたま500シリングのおつりをコインでもらったら、そこのオーナーが、もしさらに500シリング紙幣もってたら、1000シリング紙幣あげるからそのコインプラス500シリング紙幣をくれ、と言った。
その気持ちはよく分かる。小銭の音を聞くと反応してしまう(両替してって言いたくなるけど実際にはそんなことしてる暇ないのでやらない)。
かごにタバコを入れて売り歩いてる行商のおにいちゃんたちは、小銭を片手にもって、ジャラジャラ音をさせながら練り歩く。多分、それがタバコ売ってまっせ、の音なんだと思う。お金の音に反応するなんて、はしたないと思っていた。でも最近、100万シリングの札束よりも、あのジャラジャラが貴重なものに思えてしまう。
そのうち、「そんなはした金」と思われているコインに、プレミアがつくんじゃないだろうか。
シューマッハもそう思うに違いない。
いや、さすがにないか、それは。
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小金持ち。フフフ。
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# by joi-mako | 2014-04-15 15:41 | Comments(2)
雨のち停電、星降る夜は
このところ停電が多い。
雷がなって大量に雨が降ると停電になることが多い。
南アフリカでは、発電のために必要な石炭が雨に濡れたので停電します、というありえない状況に陥るらしい。雨が降ることは分かっているのになぜ濡れるようなところに置いておく!?
まさかタンザニアもそうなのか?
日中ならばまだ明るくて物が見えるし、仕事もできる。
ただ、停電になると電話やネットの調子も悪くなる。
さらに夜の停電で、コンピュータの電力も切れたらお手上げやね。
充電がなくなる直前に、全部ノートに写し取って計算し続けたこともあるけれど(やめた方がいい)。

まあ電気がないと、することがない…。
でも先週の金曜日は、この2か月間突っ走った後、
久々に仕事しなくて良い土曜日の前日だったため、
お隣の団体さんでボランティアをしにきているカナダの人と自宅にて女子会開催。
停電時用にと前任者が置いていってくれたランプをつけて、
大家さんが差し入れてくれた揚げたさつまいも(ここのは、日本のに比べて白くてねっとりしていてあまり甘くないのでじゃがいもっぽい)を肴に、南アフリカのワインを飲んだ。
ビールしかないと思っていたここシニャンガで、ワインが売ってることを教えてくれたひとまわり以上年下の彼女とは不思議と話が合う。
政治と開発と、ひと目惚れ男子急増中の彼女の周りで起きること、について。
扇風機も回らないので、扇子であおいで妙にエコな女子会。
暗くて蒸し暑いのに5時間近くも喋りたおした。
彼女の住まいであるお向かいさんまで見送った後、
見上げた空から降りそうなほどの星。

停電のたびに
きっと何万光年も前の光が今私のもとに降り注いでいるのね☆
と悠久の時に想いを馳せている。
わけではない。
いちいち星は綺麗だが、毎回ロマンに浸るほど
停電も甘くはない。
どしゃぶりの雨の後だから蒸し暑いのに扇風機回せないし、
お湯スイッチが入れられないのでシャワーも入れない。
冷蔵庫のものはだんだんぬるく、悪くなっていくし、
とにかく暗くて不用心。

こっちは祝日だった月曜日の夜も停電して、
またもランプを引っ張り出して
無理矢理、高村薫の『リヴィエラを撃て』を読んでいたら、
急に誰かに狙われているような気分になって
いそいそと施錠して早々に就寝した。
「リヴィエラ」はイタリアの地名で、この小説では主人公の敵となるスパイのコードネームとして使われている。
主人公は、元IRAテロリストの凄腕スナイパー。
男も女も出会う人すべてを魅了してしまう不器用で有能な男前ジャックは、
アイルランド、英国、米国、中国、果ては日本まで巻き込んで、各国スパイの謀略の合間をぬってリヴィエラを追う。
下巻の途中で、もはや抜き差しならない状況(それまでもヤマ場多すぎだったけど)。
ジャックと一心同体になって、撃つか、撃たれるかのサスペンス状態。
ああ、この暗闇のどこかで、私を狙うスパイたちが暗躍している!
撃たれる前に
「リヴィエラ」は撃て!
でも「シニャンガ」は誰にも撃てやしない。
だってほんとに漆黒の闇だから。

とかなんとかうそぶいてる場合じゃなくて。
果たしてジャックはリヴィエラを撃てるのか!?
次号に続く!
ことはないので、結末知りたい人は本読んでね。
(スナイパーと一心同体な気分になったからと言って、別に人殺しを推奨しているわけではないので念のため)
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停電3点セット。
次回もしっかり活躍してもらうため、使ったらちゃんと充電しておくの。
ボトルの補充も忘れない。
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# by joi-mako | 2014-04-10 01:21 | Comments(0)
シニャンガという刺激、そのサバイバル
田舎暮らしの刺激、第2弾。

1.ついに来た!
考え事をしていて、寝つきがどうも悪く、
浅い眠りで夢とうつつを行き来してた夜、
それでも恐らく何時間か寝てたような。
あーしっかり眠りたい、と頭のどっかで思ってたら、
いきなり、
キュキュキュキュキュ~!
と聞こえて、うつ伏せに寝てた背中に走るものが…。
なんやねん!と思って寝ぼけ眼をこすりながら、起きた後、
部屋の電気をつけたら…
いらっしゃいました、カエル様。
やっぱり入っておったかおぬし。
寝る前にカエルが一匹入り込んでいるのは気づいてた(自作のカエル侵入防止用段ボールもむなしく、先日入ってきたぶっといトカゲのおかげで、隙間ができている。直していない…)。
しばらくしてから追い出した。
なんとなく、これはさっき入ってきたあやつではないような…
でもとりあえず姿見えへんし、と思ってたらなんのその。
寝室に消えていただけで。
夢うつつで、キュッ!キュッ!キュッ!と
聞こえてたのも、気付かぬふりして寝る努力(カエルがそのように鳴くとは知るよしもなし)。
そこはやっぱりはっきりと異変に気づいておくべきやった。
万が一のことがあっても、蚊帳をはって寝てるから、
ベッドまでは入ってこんでしょう、と高をくくっていた私がバカでした。
蚊帳の裾から入った模様。
おかげでしばらく眠れず、睡眠不足。
できれば今夜は邪魔しないでいただきたい。
寒い雨季の夜の狂想曲。

2.キチンと挨拶しなさい
挨拶はどの文化でも重要。
でもここでの挨拶は、他よりも重要度が高い感じがする。
長いし、見知らぬ相手でも挨拶は交わす。
そして基本的には、ひとりひとり、個別に挨拶する。
「こんにちは、みなさん」が許されるのは数十人から数百人規模の時。
目上の人には特別の挨拶の言葉があるし、目上の人から目下の人へ返す挨拶も、また別途ある(因みにその言葉はトルコ語のこんにちはと発音が似ている。スワヒリ語はアラブの世界とつながりが深い)。
村に行けばさらに、女性は目上の人に挨拶する時には膝を折って挨拶しなさい、と言われる。
村に行く時は、いろいろと仕事のことを考えてるので、大抵忘れてしまい、
結構叱られる。キチンと膝を折って挨拶しなさい、と。
いい加減、覚えようよ、と自分でも思うけど、
結局、いつもあースミマセンスミマセンってなっちゃう。
で、膝を折って挨拶をして、明らかに自分より若そうな村の女性からは、
お尻が地面につきそうなほど膝を折って挨拶される。
よくよく見てると、物の受け渡しの時も彼女たちは膝を折ってる。
そしてさらによく見てると、部族が違う人は膝を折って挨拶しない。
うちのドライバーさんによれば(私のつたないスワヒリ語で理解したところ)、
挨拶の仕方は部族ごとに違うらしい。
でも、そうやって何度も膝を折ってるうちに、
この挨拶の仕方どっかで見たことあるな…と思った。
テレビで欧州の王族が挨拶してる時とか、封建時代の欧州の映画とか。
バレエもそういう挨拶をする。
ということはこれは植民地時代の名残なのか?しかし特定の部族だけ?
しないと失礼になるので、挨拶はするけれど、
なんだか少々複雑な気分で今日も膝を折っている。

3.焼きメイズVS茹でメイズ
ここでは、とうもろこしの一種であるメイズを乾燥させて粉にしたものを、お湯で練って主食にしている。このウガリは、結構ずっしり重いので、たまにしか食べへん。
けれど、こないだ焼きメイズを食べる機会があった。見た目は焼きもろこしとおんなじ。ちょっと色が薄い。一口食べてみて、その深い味わいにはまってしまった!ウマい!!
日本のとうもろこしみたいに砂糖のような甘さはないけれど、噛めば噛むほど旨みが広がる。
これはたまらん~!!!

と夢中で食べてたら、あごが疲れてきた。
メイズは、結構しっかりつまってる感じで、噛み応えがある。
もちろん食べ応えも。
一本食べ終わる頃にはあごが相当疲れてた。
歯もあやしい。。。
そして夕飯食べんで良いほどに腹持ちバッチリ。

その一週間後くらいに、今度はオフィスで現地スタッフが自分の家の畑で作ったというメイズを茹でて持ってきてくれたのをもらった。
なんと!
こちらも焼きメイズに負けず劣らずウマいではないか!?
こっちは茹でてあるだけに柔らかいんであごが疲れへん。
小さ目の若いメイズを選んだんで、芯までバリバリ食べてしまった。
っちゅうことでこっちに軍配があがりそうか?
いや~でもあの香ばしさも捨てがたい。
メイズがとれる雨季にしか楽しめへんはず。
ということでしばらくはメイズにはまっていたい。

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自宅近くのメイズ屋敷。
この奥に家がある。
ウラヤマシイ。食べ放題だ。

よくも悪くも生きてる実感に溢れる毎日。
ああ、生きるって刺激的。
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# by joi-mako | 2014-04-02 15:07 | Comments(0)
見送る者の寂しさよ、はかない命の愛おしさよ
あの震災から3年。
長かったのか、あっという間だったのか。
ああいうことが起こると世界が変わってしまったかのように思う。
もう今までと同じではいられない。
これから私たちは変わらなければならない。

でも私の世界はすでに一度、変わってしまっていた。
神戸の震災からは19年。
なんと長い月日が経ったのだろう、と思う一方で、
全ての記憶は昨日のことのように思い出される。
あの時私は神戸にいなかった。
修学旅行で長野にいた。
1週間後に帰ってきて、
アスファルトが割れて道路が波打っていて
水がわずかしか出なくて
毎晩余震に怯えて
服を着て、靴を枕元に置いて寝た。
被災はしなかったし、1月17日も経験していない。
私は元気だったけど、何もできなかった。
動けなかった。
こんなに苦しんでる人がたくさんいるのに、
何もなかったことがただひたすら申し訳なくて。

あの日亡くなった6,434人の中に、私の幼馴染もいる。
近所で一緒に育った同い年の男の子。
ずっと比べられながら育って、でも彼は中学受験をして遠くの私立の中学校に移って行った。
それまでだった。引っ越していったので、それからは会っていない。
それが、私が留学して帰ってきて年末に母と行った映画館で彼ら家族にばったり会うことになる。
私立の中学はなかなかきつくて結局県立の高校に編入して、今はバンドをやっている、という。
びっくりした。でも楽しそうで、これからっていう感じがした。
それが12月30日。
その18日後に彼はもうこの世からいなくなる。
信じられなかった。理解できなかった。
母と、良かったね、楽しそうでって言ってたのに。

17歳で途切れてしまった命。
1歳で消えてしまった命。
子どもをかばって亡くなった親の命。
何か悪いことをして罰があたったわけではないのに。
どうして彼らは亡くなって、私は生き残ったのだろう。
私なんかが生き残って良かったのだろうか。
本当は私なんかじゃなくて、もっと他に生き残るべき人がいたんじゃないか。
生き残った意味は何なんだろう。
でも、もしかしたら明日大きな余震が来て、次は自分かもしれない。
それでも、今日も生きてる。お腹もすくし、疲れて眠くもなる。
そうだ、こんなにくよくよしてたら亡くなった人たちに申し訳ない。
亡くなった人の分も一生懸命生きなければ。
答えが見つからず、17歳の私の心はそこに行き着いた。
必死だった。
5年たって10年たって、街は再興したけれど、
壊れた家族、
壊れた心、
直し方の分からないものは、壊れたままだったのを見ていて辛かった。
明日消えてしまうかもしれないこの命。死ぬまでに何かを成し遂げなければ亡くなった人たちに申し訳ない。でもがんばっても、がんばっても、前に進んでいるのかその場でもがいているのか、後退しているのか、分からない。何もつかめない。
焦っていた。とても。

そして3月11日。
今度こそ本当に死ぬと思った。死ねばこの恐怖も終わる、と。
でも同時に死にたくないって思っていたことに後で気づいて、びっくりした。
ああ、私は生きたいんだって。
何かを成し遂げたいわけじゃなく、
誰かの代わりに、じゃなく
ただ、生きたい。
そしてその3年後の今、私はタンザニアの田舎で、
会えるだけで嬉しいと笑顔を向けてくれる人たちに囲まれて
ただ生きられていることが有難いと思う。

あまりの衝撃に、東日本大震災のことも阪神大震災のことも、ほとんど話せないでいた。
大して被災もしていないくせに、と言われたこともあったし、
何もできていないのに何か言える「資格」があるとも思えなかったのでずっと蓋をしてきた。

でも今話そう。
東北の人たちが目にする機会があったなら知っていてほしい。
自分の人生は自分のものであって、誰かの分まで生きようと思わなくて良いということを。
想いはつながって、
自分の中に亡くなった人が生きていると思えたとしても、
誰かに代わって、何かを成し遂げようとしなくても良いということを。
これ以上、自分の心を叱咤しなくていい。
もうすでにがんばっているのだから。
生きているだけで、そこにいるだけで。

愛する人たちを失って、悲しさに耐えられないかもしれない。
今までの生活が壊れて、救いがないと感じるかもしれない。
私にはその過酷さ、分かり得ないかもしれない。
だけど、いつか、
こんなに辛いことがあっても、
それでも生まれてきて良かったって
みんなが思えるよう、
祈り続けています。

そして思いを残して震災で亡くなっていった人たちに
Requiescat in Pace
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# by joi-mako | 2014-03-10 22:08 | Comments(0)