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いつもどこかで朝が…
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私たちはここにいる
明けましておめでとうございます。
こんな憂鬱な社会になって、めでたいも何もない、と言う方もいらっしゃったのですが、私は生きてることが素直に有難いと思ったので、
やっぱり今年もおめでとうございます。

スワヒリ語の挨拶が長いことは、前にもお伝えしました。
その中に、直訳すると
「私たちはここにいる」
という意味になる挨拶があります。
そのように声をかけられたら
「ありがとう」
と返します。
なんとなく、ええなあと思うてました。
でもいまひとつ意味がつかめへんなーと思いつつ、挨拶は続き…。
とかなんとかしとううちに、
2013年はタンザニアと日本を行ったり来たりして暮れていき、
紅白をかいつまんで横目で見ながら、年賀状用消しゴムハンコを必死になって彫る大晦日(←遅い!みなさま申し訳ない)。
適当にチャンネルを替えてると、一年振り返りの番組もあって、亡くなった人のことを伝えとった。そういうのを見ると、別に知り合いでもなんでもなかったわりになんとなく悲しくなってしまう。
知ってる人なら尚、悲しい。それが家族ならばいかばかりか、と思う。
昨年、大学の同級生だった人がマラリアで逝ってしまった。
後にご家族とお会いしたけれど、親御さんの悲しみ、苦しみ、無念さに
胸が詰まってどうしようもなかったことに思いが至る。
そして何の前触れもなく唐突に、スワヒリ語の「私たちはここにいる」「ありがとう」という挨拶の意味が、腑に落ちたような気がした。

人は必ず死ぬ。
お正月から縁起でもないかもしれないけれど。
それでも、生まれてから死ぬまでに、
もしかしたら出会えなかったかもしれない人と、
何の巡り合わせか、この一瞬を共有できていること。
生きて、ご飯を美味しく食べられて、一緒に笑えて、一緒に何かを生み出し、共に在ること。
その事実を改めて確認し、
感謝しよう。
そういうことなのかな、と。

人が亡くなれば、その人の実体もなくなるけれど、
その人が生きた証は、周りにいた人たちの中に残る。
その人と接した日々に、自分の感じた想いが残る。
生きている時間が長ければ、周りで亡くなる人も増えていく。
そして亡くなった人たちとの思い出も増えていく。
悲しみが襲ってきた時に、その人と過ごした時の思い出に胸がふくらみ、
亡くなった人の想いと私の想いがつながるように。
もうすでに触れられないあなたと、私が
共にここにいた、
その寂しさもいつか温かい気持ちで
愛おしむことができるように。
今、あなたと私が、
私たちがここにいる毎日に感謝しよう。

人は、生きて
死に
思いはつながって
今日も地球はまわっていく。

そして、私たちはここにいる。
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by joi-mako | 2014-01-07 18:40 | Comments(0)