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いつもどこかで朝が…
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洗濯機というコンセプト
いや、別に洗濯機のコンセプトについて
語るつもりではありませぬ。
ここシニャンガには、恐らく洗濯機がない
(見たことがない)ので、
「洗濯機」というコンセプトそのものがないのではないかと。
多分、ダルエスサラームにはあります。
ダルエスサラーム在住日本人専門家にこの話をしたら、
じゃあ、どうしてるの?と真顔で聞かれましたもの。
じゃあ、どうするのか?
もちろん、手洗いするのでございます。

ミニ洗濯板も持って来た。
さすがに全部自分で手洗いする時間はないので、服はホテルのクリーニングに出しております。
そしてそれはデフォルトで全て水洗いだけど(おしゃれ着洗い用洗剤ちゃうけど)ドライクリーニング扱い。
手洗いしてくれるからね。
なんてラッキー、と思ったけど、意外にモロモロしてきとう気が…。
そして、安い。
一点1000シリングとか高くても2000シリングとか。
大体1ドル前後ですな(1ドルは約1500シリング)。
この国では、それだけ人件費が安い、ということのようです。
洗濯機を買うより、洗濯する人を雇う方が安い、と。

うーん、この言葉はちょっとずしっときました。

このホテルで洗濯している人たちは、一体どれくらいのお給料をもらってるんやろう。
いくらもらってるにしても、こんなホテル(まあ、星などつきようもありませんけどね、ここでは一応、高級ホテルなの)に泊まることはきっと一生ないし、
家に帰ったらお湯の出るシャワーじゃなくて水浴びやろうし、
一食に9000シリング(このホテルでお昼ご飯を食べると大体こんな値段。でも普段の街で食べるお昼ご飯はこの半分の値段)なんて絶対払わへんと思う。

東京とシニャンガを同じ土俵で比較することはできひんのやけど、唖然とするほどの格差。
村にいくと、もっともっと貧しい。
うち1人の力ではどうしようもないし、かと言って、村の人と同じスタンダードで生きるのにはもう難しい。
でも、みんなうちをどう思うてはるんやろう?と思わずにはいられへん。

外から来た者として、「支援」する側として、
果たしてうちは、どういう立ち位置でおればいいのやら。
ここには「仕事」をしにきてるんやし、
そのために必要なこと(ある程度バランスのとれた食事とか、洗濯してもらうこととか、お湯のシャワーとか)には対価を払えるならば、そのサービスを得るのは当然として割り切る、というんが、教科書的な答えでしょうか。
うちもある程度は、そのように思います。

しかし、
あのホテルに泊まってる外国人ならこれくらい
出せるやろうと思って法外な値段をふっかけてくるタクシーの
運ちゃんたち(チャリタクだけじゃなく)、
仕事に使ううちのコンピュータを羨ましそうに眺める人たち、
そもそもお昼ご飯を食べにいく場所が多くの周りのタンザニア人とは違うという事実。
ここでは格差の「上」にいる、ということにいつも憶えるヒリヒリした感覚…。
でも、彼らに悲壮感はなく、スワヒリ語やスクマ語で挨拶すれば、
笑顔で迎えてくれる。

村の人たちと供にありたい、と思ってここまで来たけれど、
その気持ちだけでは、「支援」する者として機能せえへん。
じゃあ、日本とタンザニアの格差をなくすために、
日本みたいに、タンザニアが発展するのが、
果たしてタンザニアの人たちにとって良いことなのか?
いや、日本みたいにならんでも。
でも、じゃあ、このまま発展せえへんまま、
お金持ちには訪れへん予防可能な死を、貧しい人たちは格差という名のもとに甘んじて受け入れざるを得ないのか?

平等って何?

うちが開発の世界に入ったのは、大学時代に出会った
アフリカの友人たちの国の貧しさを解消するために
何かしたかったから。
でも、リアルに、生きるか死ぬかの差が現れる貧しさを
目の前にして、友だち気分は吹っ飛びます。

友だちとしてだけじゃ、やっていけない。
でも、外からきた支援者としてだけでも、やっていけない。

そう思いながら、
探しても探しても、するりと手からすり抜けてしまう
答えを追いかけながら、
今日もハンカチを手洗いしています。

そう、ハンカチくらいは自分の手で洗うのよ。
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こんな天気やから、晴れてればすぐ乾くさ。
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by joi-mako | 2013-01-10 16:52 | Comments(0)
一番大切なもの
新年明けましておめでとうございます。
もうこちらに来て2ヶ月が経ちました。
あと半月猛烈に(←気分的には、ね。やることいっぱいなんで)
仕事したら、日本に一旦戻ります。
その半月後が待ち遠しくて待ち遠しくて、
毎日あと何日って数えてます。
も〜うい〜くつねーるーと〜♪な気分です。
それはここが嫌になったからではなく。
本当に大切なものの傍に行けることが
単純に嬉しいから。

長いこと、こんな気持ちを忘れてました。
かつて何度か留学した時には持ってた気持ち。

もちろんうちの言う、大切なものとは
家族や友だち。そして彼らと過ごす時間。
そんなん、分かりきったこと。
そして月並みなことです。
日本でも、一番大切なものは家族や友だちやったよ。
しかし、より鮮明に、形が見えるような感じ。
こちらに来て、最初の方は、物質的に
あれがない、これもない、ということに
寂しさを感じとった。
人と会えない寂しさは、1週間の出張でも感じるので
今回も当然最初からあった。
けど、寂しさを超えて、ああ、あの人とこんなこと一緒にしたい、
この人とこんなこと話したいって思ったりすると
その時間やそれができる空間が愛おしくなる。

今、うちの周りには圧倒的な貧しさを抱えて、
でも悲壮感はなく、幸せそうに生きてる人たちがいて、
停電がしょっちゅうあるから星空も美しく、
近くに鉱山があるから中国人はたくさんいるけど中華料理はない
こんな場所にいると、
どうしたって人生について、
幸せについて、
世界のあり方について考えます。
うちの人生にとって、
うちのいるこの世界にとって、
一番の幸せは…
やっぱり家族といて、友だちといて
楽しいことも悲しいことも共有して
日々、ただ過ごせること。

この国では、流産や死産、
子どもが生まれても5歳未満で亡くなっていくことが
多くあります。
産む女性は命がけです。
子どもが、無事に生まれて、
お母さんとともに無事に育って行くことが
本当に奇跡のように素晴らしいことであると
診療所にいって生まれたばかりの赤ちゃんをみると
毎回、鳥肌がたつほど感じます。
そういう時には、姪を思い出します。
そして、姪を生んだ弟と義妹。
弟を生んだ両親。そのまた両親。
伯父や伯母たち。
弟より先に生まれた私。
私の周りにいてくれる友だち。
みんな無事に生まれて、
無事に育ってくれてありがとう。

大切なものがこうやって生み出されたことに
感謝しつつ、
そして世界中の人が、大切なものをもてることを
祈りつつ、
新年のお祝いを申し上げます。

新しい年が、新しく美しい世界への扉をもたらしてくれますように。
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by joi-mako | 2013-01-01 17:17 | Comments(0)