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いつもどこかで朝が…
15歳、妊娠、そして
プロジェクトの一環として、保健施設に来る人たちへの満足度調査を実施。
相対的に若年結婚が多く、女子の就学率が低い地域ではあるものの、
10代ですでに妊娠している女性が多いことに改めて驚く。
その中に、産前健診に来た15歳の少女がいた。
一年前に結婚し、すでに夫を亡くしている。
去年の10月に亡くなった夫の子を妊娠している。
この地域では、夫を亡くした女性は亡夫の兄弟に「相続」されるらしく、
彼女もそのようにして再婚しているらしい。
でも今は両親と暮らしている。聞いたことのない村の名前。
なぜわざわざこの施設に産前健診を受けにきたのか問うたら、
今住んでいるところの近くにある保健センターでは夫と一緒に来なければ診ない、と追い返されたため、かつて夫と住んでいたところにあるこの保健センターに来たという。
一体どんな思いで、
「夫と一緒に来なければ」という言葉を受け止め、
夫との思い出のある場所の医療施設に遠路はるばるやって来たのだろう。

彼女は、朝3時に起き、バス停まで1時間歩き、2時間バスに揺られ、
サービスが開始されるまでさらに3時間待ってやっと検診を受けられた。
あまり悲しそうでもなく淡々と話す、夫を亡くした15歳の妊娠中の少女を
目の前に、どう声をかけて良いか逡巡する。
神は耐えうる試練しか与えない、という。
困難な状況に陥った自分への励ましの言葉としては、有効な言葉かもしれない。
でも、彼女にその言葉をかける勇気はなかった。
何も出来ない自分が悔しかった。
プロジェクトで関わっているこの保健センターで受けた産前健診が、
彼女にとって、少しでも心地よいものであったことを祈らざるをえない。

でも、ここにきて感じるのは、
どんなにモノがなくとも、インフラが整っていなくとも、
このITの時代に果てしなくアナログな生活をしていようとも、
ここにも日本と同じように、人々の営みがあり、
4700万人の人生がある、ということ。
当たり前のことなのだけど、
日本で仕事してると
「リプロダクティブ・ヘルス」の部分だけ
切り取って見てしまってたかもしれない。
でもそうじゃなくて、
毎日、人は朝起きて、家事をして、
ご飯を食べて、
食べるためにお金を稼ぎ、
疲れて眠り、
家族とともにあることに幸せを感じ、
時に悲しみ、怒り、喜び、
夢を持ち、
悩み、
努力をし、
喧嘩して、仲直りし、
泣いて、笑って、恋をする。

圧倒的な貧困の中に生きる、
哀しくて、
可哀そうな人たち、ではない。
私は、
救いの手を差し伸べるもの、ではない。

プロジェクトができることは、
限られたこと。
それでも、
日本からの移動に3日かかるシニャンガにいる人たちの
毎日の
どこか一部を
遠く、海を越えた日本の人たちが
どうにかして良くしたい、と考えて
行動を起こしているということを
私はここの人たちに伝えたいと思う。

そして、
それが彼らの毎日の力となるように。

時々、どうしたらいいのか分からなくなる。
でもまだ私は、何もできていない。
今はまだ、諦められない。
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by joi-mako | 2013-06-29 02:13 | Comments(1)
Commented at 2013-07-02 11:04 x
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